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- 2023.06.13 Tuesday
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東京は 桜が満開ですが
昨日今日と 花冷えの 寒い日々です。
木へんに春と書いて 椿 なのに
春は 梅や 桜にすっかり主役の座を奪われた感じの椿です。
季語は 冬だし まだ咲いてたの? という感じ。
農道脇で買った 切り花セットの中に
ついでに付いてきたような 椿がそれはまた美しくて
さすが 古来より 茶人などが愛した花だと 思いました。
(花がポロっと 落ちるので 首が落ちるを連想する武士には嫌われたとか)
(言いがかりだ)
日本で生まれたこの花が 18世紀に ヨーロッパにわたって大ブームになり
小説「椿姫」が生まれ オペラにもなりました。
娼婦マルグリットは 白い椿を25日、残る5日は 赤い椿をつけて舞踏会に現れ
誠実なアルマンに見染められ 真実の愛を知りました。
幸せに なりたかったね。
わたの原 八十島(やそしま)かけて
漕(こ)ぎ出でぬと
人には告げよ 海人(あま)の釣り舟
(『百人一首』11番)
大海原を、数知れぬ島々の方へ向けて漕ぎ出して行ったと、都の人には告げてくれ、海人の釣舟よ。
小野 篁(おののたかむら)が
3度目(過去2度も 未渡航 当時は大変な航海だった)の遣唐使を拒否して
遣唐使制度を批判したため 隠岐に流されることになった時 うたった歌だそうです。
寂寞感や孤独感があらわれている という解釈も多いですが
私には こんな有能な私が流されていくんだぞ、忘れるなよ、という自負心に聞こえます。
学問や漢詩、弓矢に通じ そのほか日本の王義之といわれるほど能筆で 多才な人でした。
隠岐より帰還したあとも 乞われて要職につきながら
皇太子(のち文徳天皇)の師となり 最期は惜しまれてこの世を去りました。
祖母の法事をすませた後 入谷近辺を 散策していると
ちょっと素敵な神社に 出会いました。
小野照崎神社(おのてるさきじんしゃ)といって
小野 篁をまつった神社だそうです。
学問、技芸の神様ということで いさんで参拝しました。
神社内敷地は お花も きれいに咲いていました。
この花はつつじにしては早いし
この花は桜にしてはちょっと違うし??
面白いエピソードとして
渥美 清さんが この神社で願をかけたら
「男はつらいよ」のオファーがあったそうです。
私は 今から芸能デビューするわけではないので
そのへんの事は いりませんから
篁(たかむら)さま
絵や卓球、ゴルフなどに 少しでいいから降臨ねがいます。なんてね。
東京はとても坂の多い都市です。
家康さんが 秀吉さんに命じられ いやいや やって来るまでは
草木ボーボーの武蔵野台地と 泥地でズブズブの海沿い地帯が 入り混じって
高低差があり
それは 住みにくい土地であったようです。
坂は その名残りで
防御のために わざと 平らな広い道を作らなかったとの説もあります。
道玄坂 乃木坂 妻恋坂 安藤坂 昌平坂
23区内だけでも 700を超える坂があるそうです。
家康さんは
「人生は 重き荷物を背負いて 坂道を登るがごとし」と 言ったとか。
坂の多い江戸で 実感した? わけでは ないとしても
歳をとってからは 温暖で平坦な駿河の地で 余生を過ごし 亡くなりました。
坂道を登りきって 何が見えたでしょうか。
今日は身近な 散歩道を描きました。